上 原 眞 佐 喜 プロフィール
山田流箏曲名家萩岡家に育ち、近代の名人初代萩岡松韻を曾祖父に持ち、三代目は父親にあたる。
昭和52年三代目松韻が急死し、その後翌年昭和53年10月三代目が企画し会主として出演する予定であった
祖父二代目萩岡松韻13回忌追善演奏会を歌舞伎座にて、18歳で萩岡信昭として出演、「鶴寿千載」の三絃を
演奏し、箏中能島慶子師、笛宝山左衛門師(当時福原百之助師)、とともに出演し話題になった。
それより山田流箏曲三絃を中心に多方面に渡り舞台出演で研鑽を積み、昭和56年、曾祖父が名人三代目山瀬松韻師より許された芸名「松柯」を曾祖父と同じ年齢の23歳の時、4代目として襲名する。
「昭和56年4代目松柯襲名演奏会開催 国立大劇場にて」
襲名演奏曲目は、当時久しく演奏されていなかった中能島欣一作曲「さらし幻想曲」を篠笛赤尾三千子師とともに三絃を演奏し、注目された。舞台袖には、中能島欣一師、杵屋五三郎師、会場には杵屋正邦師が演奏を聴いていた。以来「萩岡松柯」として舞台、放送、に活躍し後にその活躍が山田流人間国宝二代目上原真佐喜師の目にとまり、上原家へ三代目として迎えられ上原信昭となる。上原真佐喜に師事。
平成5年歌舞伎座にて名披露目演奏会を開催し、養母真佐喜と出演演奏をする。
「平成5年上原信昭名披露目演奏会 歌舞伎座にて」
これ以降上原信昭として舞台を中心に多方面に演奏する。
放送 市川染五郎の邦楽ジョッキーゲスト出演
海外演奏 「独日韓親善ガラコンサート」 ロベルト・シューマンザール ドイツ デュッセルドルフにて
招待され演奏した「岡康砧」は、三絃を演奏し、同じ出演者であった韓国の演奏家に三絃の音色を賞賛される。会場での大絶賛ぶりは、当時ドイツヒッツアカーの市長が三代目上原眞佐喜の襲名演奏会のプログラムで述べている。
平成8年5月二代目が亡くなり、一門と心意の行き違いが生じ上原会の会長となる。
平成25年2月22日ル・テアトル銀座にて襲名演奏会を開催する。
師事
三代目 萩岡松韻
杵屋六梅代師
人間国宝 杵屋 五三郎師(当時五三助師)
杵屋正邦師
人間国宝二代目上原真佐喜
山彦河良師
人間国宝 山彦節子師より名取となり「十寸見東昇」となる。
人間国宝 米川文子師(当時米川文勝之)
文化庁文化芸術インターンシップ研修員に選出される。